私と台湾と中国語のご縁~そしてちょっと台湾語のこと

マリアについて

 

会う人みんなに聞かれる質問があります。「マリアさんはなぜ台湾を選んだのですか?」

毎回答えるのに困ります。私自身よくわからないんです。

 

私が最初に認識した外国は恐らくアメリカです。外国と言えばずっとアメリカでした。

両親の大親友がアメリカに行き、そのまま住んでいるからです。子供の頃からその方と両親の交流の話を聞いて育ちました。

 

その方は日本に帰ってきて会うたびに私にアメリカに遊びに来なさいと言ってくださいます。私は中学生の頃に「Sさんがそう言って下さってるから行っていいでしょう?」と母にお願いした事がありますが「Sさんだってアメリカに行ってから自宅に泥棒はいられたりして危ないのよ。だいたい飛行機代どうするのよ?」と、外国=危険というイメージを植え付けられ夢破れました。

 

そんな私が台湾に住むことになるとは、自分でも夢にも思いませんでした。

 

私がはじめて中国語を使ったのは、台湾のお友達の家に泊まりに行ったときです。

 

そのお友達はもともと日本に留学で来ていた子で、私の母が我が家の長女と呼んで可愛がってお世話していた人ですが、私との歳の方が近いのです。

 

彼女は長い事日本に住んでいて、母は日本の文化やマナー、しきたりを機会あるごとに彼女に教えていたようです。ですから彼女は日本人のことをとてもよく理解しています。

 

彼女はよく我が家に泊まりに来ましたし、私たちと一緒に旅行に行ったりもしました。

母達は知人と日本にある台湾料理店に食べに行ったりしていましたし、彼女が帰国した後も彼女を訪ねて祖母と一緒に台湾旅行に行ったりと、私よりずっと台湾通でした。

 

私の方は彼女が台湾人ということは把握していましたが、それを特別意識した事がなかったし、たぶん普通になり過ぎていて台湾に関して何の興味も持っていませんでした。

 

台湾がどこの国のものかという問題を母とお友達が話しているのを一度だけ耳にした事がありましたが、その時でさえ「え、台湾って台湾ていう国じゃないの?二人ともなに話してんの?うん?難しくてわかんない。いいや、聞かなくて。」という感じですぐにギブアップしてしまい、それ以来台湾について余計に知りたくなりなりました。

 

私にとって長年台湾とは、そのお友達と野球の王貞治さん、台湾バナナは昔は高級品だったぐらいのイメージしかありませんでした。

 

台湾という国に何の興味もなかった私ですが、ちょうど仕事も休みが出来たとき、そのお友達が家に泊まりに来るように誘ってくれました。

 

私はせっかくなので行ってみようとすぐにチケットを取ってはじめての台湾旅行に行きました。

 

彼女は空港まで車で迎えに来てくれて、そのとき小さい姪っ子ちゃんを連れて来ていました。

 

その年は珍しく寒い冬で、雨が降るなか、車のなかでお友達はCDをかけながら「これは台湾語の歌なのよ。この子も好きなの。台湾では若い子の台湾語離れがあるんだけどね、最近また台湾語が流行ってきてるのよ」と教えてくれました。

 

頭の中では台湾語?台湾には台湾語っていうのがあるんだ???と、また私を混乱させました。

 

私とお友達はずっと日本語で会話していますが、姪っ子ちゃんは日本語がわからないので退屈そうです。

 

コミュニケーションを取りたくてもどうしたら良いかわかりません。彼女が何か独り言をいっているとき、私は彼女の言葉と動作を真似して一緒に遊びだしました。

 

するとお友達が「え~、すごいね。なんで中国語の発音できるの?この子がいまね、真似しないでよ~!真似するとおならしちゃうぞ~って言ったよ」と驚いていました。

それ以外は滞在中はお友達がほぼついていてくれて通訳してくれたので、中国語を話す必要はまったくありませんでした。

 

実は日本から中国語とカタカナで書かれた簡単な挨拶集を持って行ったので、彼女のご両親やご兄弟姉妹に頑張って片言ぐらいは挨拶をと一応のチャレンジはしたのですが、声調が合っていないのと、台湾語で返事をされていたのもあったようで、早々に直接のコミュニケーションは断念しました。

 

それでも収穫はあって、その滞在中に私は「那裡」のひとことだけですが覚えました。

私が滞在中、彼女は何度か姪っ子ちゃんを預かって私とちびっ子たちを車に載せていろいろ回ってくれました。彼女が駐車場に入って停める場所を探しているとその姪っ子ちゃんが「那裡!那裡!」と言うのです。

 

いみは「あそこ!あそこ!」です。

 

ちなみに声調が変わると「哪裡」になり、どこ?という疑問になります。

「哪裡,哪裡」というと、「どこ、どこ?」もしくは褒められた時に言う「そんなことありませんよ」の意味になるので全く話が通じなくなります。

 

私が帰国してから、彼女は母に「マリアには中国語の才能がある」と言っていたそうですが、母からそれを聞いたのはだいぶ後になってからの事です。お母さん、何でもっと早く教えてくれなかったんですか?(笑)

 

おそらくそういった経緯もあったようで、彼女が台湾から時間を取ってSkypeで中国語を教えてくれる事になりました。それで、「お腹壊した」とか簡単な言葉をいくつか教えてくれましたが、その姪っ子ちゃんと遊んでいた時ほど上手に発音できませんでした。無意識ってすごいんですね。

 

彼女は仕事が忙しく、時間にSkypeを立ち上げても現れない事が続き、そのレッスンは3回で終了しました。

 

一方私がその時の滞在をきっかけに台湾に留学したいとか、住みたいと思ったかといえば、日本語ペラペラのお友達が起きている間中ずっと通訳してくれ、こちらが地図ひとつ開かなくても台北市内の見どころはすべて連れて行ってくれたので、彼女への有難みは今でもありますが、旅の醍醐味のアハ体験のような脳内刺激はほぼ起こりませんでした。

 

高速道路の造りも案内板も中国語と左側走行という以外は日本とほぼ同じで、台北市内を車で走ればモスバーガーの看板だのSUZUKIやYAMAHAの看板を大量に目にします。

 

違いと言えば、黒い野良犬数匹がものすごい勢いで走り回っているとか、路肩の植え込みに椰子の木が生えているぐらいで、「なにこれ、日本とどこが違うの?もう次は来ないだろうな」と思いながら松山空港を後にしました。

 

自分で歩ける若いうちは自分でいろいろ体験した方が記憶に残るのかもしれません。

食住のすべてをセッティングされて周るのは国の要人か、自分の足で歩けないお年寄り向けだと思います。

 

だいいち私も私で、ガイドブックひとつ買わず、地図もネットも見ず台湾情報ゼロで行ったのですから、いま思うとすごいですよね。友人宅にちょっと泊まらせてもらうぐらいの軽い気持ちだったので、まさかあんなにおもてなしして頂けるとは思っていなかったからなのですが。

 

その後も台湾との縁は続いて行きました。そして気が付けば台湾にいます。自分で選んだ結果なのは間違いないのですが、なぜいまこうなっているのか明確な目的があって今に至っている訳でもないのです。その国との縁と言うのもあるのかも知れないと、思うことが時々あります。アメリカにいまでもずっといるSさんのように。

 

あなたはなぜその国を選びましたか?

あなたはなぜその国にいるのですか?

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