隣室がコロナ感染そのとき味わった恐怖とは
私が2021年5月に台湾で怖い思いをした経験をお話します。
2019年の冬に新型コロナウイルスのニュースが世界中を駆け巡った頃、私は大学の冬休みを利用して一時帰国していました。
年があけて2020年から2021年のチャイニーズニューイヤーまで、台湾で暮らす私たちは内心怯えながらも、台湾政府の鎖国に近い政策に守られて生活していました。
当時はまだ新型コロナウイルスは今よりもっと得体の知れない未知のウイルスで、重症化率も強く、そして台湾にはワクチンの備蓄がほとんどありませんでした。
そして何より台湾にはSARS(重症急性呼吸器症候群)の時の苦い経験があるので、日本よりも、ずっとずっと厳しい対策を取っていたのです。
それがせきを切ったかのように、2021年4月下旬から5月にかけて、台湾の人口密集地、台北市・新北市(東京23区と23区外に相当)で市中感染が複数発生します。
集合住宅の管理体制
私の通っていた大学は私が冬休みが終わってから登校すると、非接触型で体温計測を行っていました。
だけどその頃住んでいた集合住宅では、相変わらずまだフロントの人達がフェイスガードをつけて出入りする私たちを怖がりながら検温していました。
おまけに共同キッチンや学習エリアは、窓を開けて換気の出来ない地下にありました。
市中感染が増えて行ったので、集合住宅のマネージャーに
「大学では非接触のセンサーで検温していますよ。それに、使えないと困るけど、キッチンも学習エリアもジムも、換気できないだろうから、閉鎖した方が良いんじゃないですか?」と進言しました。
でも、楽天家なマネージャーは笑っているだけでした。
私たちの住まいの公共部分は毎日清掃が入ります。
居室内も10日に1度清掃が入るので、外で部屋を借りるよりずっと清潔に暮らせます。
自室のゴミ箱のゴミや、キッチンで出したゴミなどは、館内設置のゴミ捨て場に自分で捨てなければいけませんが、ホテルのように清掃が入るし、24時間スタッフが常駐しているので、とても快適でした。
オンライン授業とオンラインで在宅の仕事をする時間が増えた2021年の5月には、スタッフの人たちと顔を合わせる時間がどんどん増えて行きました。
特にゴミ捨てや各階にある給水機を使う時に清掃の人と顔を合わせるので、今まで以上にプライベートの話をしたりと楽しい毎日を送っていたのです。
なかでもよくお喋りしたのは清掃スタッフのAさんで、Aさんは美人で、いつも明るくて、彼女が清掃した後は他の人との違いがわかるほど仕事も完璧な素敵な女性で、顔を合わせるのが楽しみでした。
そんなAさんが、ある日を境に、私と話をしていても何故か浮かない顔をするようになりました。
この辺りでもコロナ感染者が増えたから、清掃の仕事は怖いのかもしれないな。
いまはあまり話しかけず、会ってもそっとしておこうかな、そんな風に思う程でした。
集合住宅でコロナ感染者が出た
それから数日たった2021年5月25日、建物のエレベーターホールをはじめ、人が通る所に黄色い紙が貼りだされました。
緊急・重要
本日、当建物にて感染者が確認されました。
自室での健康管理を徹底し、公共スペースには基本的に立ち入らないようにして下さい。
(中略)
健康に異常が生じた場合には、速やかにフロントへ報告するとともに、検査場で検査を受けてください。
ついに、恐れていた事が起こりました。
怖い物知らずの外国人(日本人含む)の子たちの、夜な夜な集まっていた声がそれでもまだ聞こえて来ましたが、誰かに注意されたのか、それも聞こえなくなりました。
集合住宅で働いているスタッフさん達や、台北以外のエリアから上京している台湾人の居住者たちは、ついに感染者が出てしまったと、恐怖を覚えたに違いありません。
感染者が出たという事だけど、2棟あるうちの、どちらの建物の、どのフロアの人なのだろう?
エレベーターは使っても大丈夫かな?
地下室に行っても大丈夫かな?
アルファ株などの感染力も重症化率も強いウイルスが広まっていた時期でしたので、とてもとても心配になりました。
感染したくない。
感染したら報道される。
怖い。
そんな事ばかり考えていました。
台湾政府の感染者の発表の仕方
台湾政府は感染者が出る度に性別、住まい、職業、行動歴、年代や感染経路を発表していました。
それに記者も質問を行い、追跡報道も出ていたので、外国人が感染などしたら近くの人はどこ誰か大体わかってしまうのです。
これは外国人の私にとって、とても恐怖でした。
ですが、市中感染者の数が多くなったある日を境に、台湾政府は感染者数をまとめて発表するように発表の仕方を変えました。
どの市町村で何人が感染して、その人がどこへ立ち寄ったか、具体的に立ち寄ったお店等の名称、バスや電車の時間などを公表する形式へと変更したのです。
私たちが住む共同住宅で感染者が出たちょうどこの数日前にこの方式に替わったので、結果として、感染してしまったこの人も、翌日26日の感染者数の中の一人として公表される事になります。
ですが、もし感染者が台湾人なら詳細は公表されませんが、外国人が台湾の外で感染し、入国後に陽性となった場合には、まだそういった件数が少ない事もあって、公表されしまうのです。
近隣住民はここに外国人が多く住む共同住宅がある事を知っているので、もし外国人が感染していたと知れたら、大変な事になるかも知れない。
そんな不安もありました。
感染者が出たという貼り紙を見た日の夕飯は、非接触型のフードデリバリーを頼んでいたので5階の自室から、1階の受付まで階段を使って降りて行きました。
台湾の人というのは日本人と比べて個人主義で、仕事の仕方も個人の裁量に任されていると思います。
この日の夜は仲良しだけど、ある方面では秘密主義のCさんがフロントにいました。
教えてくれるかどうか微妙でしたが、夕食を手にしたついでに、ダメもとでフロントへ寄って、感染した人の部屋がどこか聞いてみる事にしました。
「どっちの棟の人が感染したんですか?何階の人ですか?」
Cさんは「わからない」としか答えません。
わからないハズがないと思いましたが、プライバシーがあるから言えないのも?と思い直し、それ以上聞くのはやめました。
どこの人が感染者か聞くよりも、感染者の人と居合わせたり、その人が降りた後のエレベーター使うのが怖いと思ったので「エレベーターが怖いんですよね」というと、「それなら階段を使いなさい」と、前向きなアドバイスをくれました。
日本では信じられないかも知れませんが、台湾ではエレベーターのない7階建ての建物なんて、割とざらにあるのです。
台湾政府がコロナ感染者を細かく公表しなくなったとは言っても、ワクチンもなく、数カ月したら帰国しようと思っているいま、異国でコロナに罹る訳にはいかない。
階段を使ってその恐怖心が消えるならそうしよう。
私はその時から、階段を使うようになりました。
その姿を見ていた同じフロアに住む台湾人の男性も、エレベーターをやめて階段を使うようになったので、ご飯の時間にはよく歩いているのを見かけるようになりました。
コロナに怯えていたのは、やはり私だけではなかったようです。
感染者はもう住んでいないと思ったけれど
その頃、まだ少しですが台湾は外国人の新規入国を行っていました。
空港から自主隔離施設で14日間過ごして、それからこの集合住宅で引き続き健康管理しながら過ごしている日本人が、何人もいました。
それに加え、私たちのように前から住んでいた人たちも、隔離か健康管理をしなければいけない状況になりました。
得に濃厚接触者に該当する場合には、政府からスマホにメッセージが来る仕組みになっているので、自分の所にいつ通知が来るのかとドキドキしながら過ごしていました。
不安な気持ちを台北市内に住んでいる日本人の友人に、いつものようにLINEで話すと、
「感染した人や、その人と一緒に遊んだりしてた人も接触者として、引き続きそこで隔離されてるってことだよね」と言われました。
私はてっきり、感染者は検査したその場で陽性がわかって隔離されると思い込んでいたので、何を言っているのかわからずにいると
「いま、隔離施設間に合っていないみたいだから、気をつけてね」と言われました。
気をつけてと言われても、これ以上気をつけられないぐらい気をつけて生活していたのですが…。
その日も台湾で500人の感染者が発表されました。
ゼロコロナ政策を取っていて、そしてゼロ記録を更新していた台湾にとって、その数字は恐怖でしかありませんでした。
もし建物内で感染者が爆発的に増えた場合、封鎖されるのではないかと、一部の台湾の人や、そして私も最悪の事態を考えて、とても恐れていました。
そんな状況なのに、感染してもすぐに隔離される訳ではなく、感染した人は自分の部屋で数日待機させられるのだという事が、わかったのです。
去年の冬休みに日本に帰国した時に見た、中国の映像が頭の中で再生されて、怖くなりました。
咳が出て苦しくても、部屋で待機させられるのかしら?
建物のどこで、誰が感染しているかわからない状況でも食事を摂ったり、洗濯をしたり、授業を受けたり、ふつうの生活を送らなければいけません。
階段を使って移動していると、途中のフロアから男性が咳き込んでいる声が聞こえてきます。
どこかの部屋からは、まだ完ぺきとは言えない、練習途中のバイオリンの音が聞こえてきます。
この館内にバイオリンやってる人いたんだ。
近くの大学の音楽系の学部の子かも知れません。
いつもは賑やかだった館内が、しんと静まり返り、ふだん気づかなかった音や、誰かの咳払いの音が夜の闇の中によく響き渡っていました。
感染者の部屋の判明とロックダウンの予行演習
感染者が出たという掲示があってから3日後の2021年5月28日、集合住宅の地下室は使用禁止になりました。
私は日中に運良く地下室が使えなくなるという情報をキャッチしていたので、キッチンにあった食材をすべて自室に移動していました。
そしていつものように窓際の机に座っていた夕方6時ごろ、最近増えた救急車がまた山道を上がってくる音を耳にしました。
いつもなら建物の前で救急車が左か右に進路を変えて、さらに山道を上がって行くのですが、その日だけは違いました。
救急車が私たちが住む建物の前でサイレンをぴたりと停めて、止まったのです。
びっくりして窓の外を見ると、救急車が2台も来ていて、その中から出て来たのは、普通の救急隊員ではなく、台湾の連日の報道番組で目にしていた、全身を防護服で覆った人たちで、その人たちがフロントから建物の中に足早に入って行く瞬間まで見てしまったのです。
心臓がドキっとして、恐怖が全身を駆け抜けて行きました。
集合住宅の居住者は今は健康管理期間中で、なるべく自室内から出ない方が良い期間なのです。
なのに次の瞬間、静まり返った廊下から誰かがスマホで話しながら歩いている声が聞こえます。
廊下を歩いているのは若い男性で、私の部屋の前にあるエレベーターホールに向かって歩いてくるのがハッキリとわかりました。
そしてその瞬間、私は気づきました。
陽性者はあれから約3日間同じフロアにずっと住んでいて、そしていま救急車が施設に移送する為に迎えに来たのだと。
窓の外に再び目をやると、大して荷物が入っていなさそうな薄い黒いナップザックを背負った若い男の子が、背筋をピンと立てたまま自分の足で、しっかりと車に乗り込んでいく姿をこの目でハッキリと目にしました。
台湾の家は良くいえば通気性が良く、はっきり言うと結構隙間が空いています。
さっきあの男の子がスマホで話をしながら廊下を歩いて行ったので、エアゾル感染するのなら、ドアの下の隙間から飛沫が飛んで来るのではないかと思ったら、怖くて息をひそめて部屋にいました。
そして少しすると、6年間住んでいて一度も見た事がない掃除機をかけた時のようなシューーーーーーーーーーーーっという音が静かな廊下に響き渡りました。
台湾の家の水は浄水しないと飲めません。
各階の廊下に飲水機があって、いつもはそこの水を汲み置きしておくのですが、その日に限って水を飲み干してしまっていました。
それに夕飯を頼んでしまっていて、1階に下りて行かなければなりません。
桃園空港近くにある隔離ホテルで原因不明のクラスターが発生したというニュースが頭をよぎりました。
エアゾル感染ではないかという説もあり、結局原因はわかっていなかったはずなのです。
その当時借りていた部屋も多くのホテルと同じ、全館空調システムを使っていたのです。
同じフロアに感染した人がいると思わず、暑さに負けて数日前からエアコンを使いはじめたばかりだったのです。
この時私は自分の判断を後悔しました。
数年前までは一人暮らしをしていて、エアコンは必ず自分の部屋に1台ついていたのです。
いま考えれば大袈裟だと思われるかもしれませんが、昨年のタイプのコロナウイルスと2022年に流行しているタイプとは型が違うのです。
そして未知の部分が今よりも多く、大抵の人は本当に恐れていました。
廊下に出るべきかどうか悩んで、部屋に設置されていた電話機からフロントに内線を掛けると、Cさんが出てくれました。
「いま救急車来たのを見たのだけど、感染者は私と同じフロアの人ですよね?」
Cさん「そういうことだよ。」
「部屋のお水がないから廊下に出たいのだけど、出ても大丈夫?
晩ご飯一階に頼んであるから、それも取りに行かなきゃ……。」
一昨日は感染者が「誰だか知らない」と言っていたCさんが、今日は優しく慰めるように話してくれます。
「消毒の人たちがたくさん入って行ったのを見たでしょう?
消毒入ったから、お水は使って大丈夫だよ。
歩くとき、滑らないように気をつけてね。
エレベーターは、もう少し時間が経つまで、使わない方がいい。」
ほとんど泣きそうになりながら
「Cさん、ここの空調はホテルタイプでしょう?全館空調システムですか?」
Cさん「そうだよ。」
「それじゃあ、エアコンからエアゾル感染する可能性はないんですか?
私エアコン使っちゃってるんだけど。」というと、
Cさん「マリア、エアコンの専門家に聞いた所によれば、空調は全館システムだけど、一度出た空気がまた中に入る事はないんだそうだよ。だから大丈夫ってことだよ。」
私は「わかりました」とだけいって内線を切りました。
Cさんはこの集合住宅ではベテランのスタッフです。
そのCさんはワクチンの順番がまだ回って来なくて心配だと私に言っていました。
彼自身、館内に陽性者がいる事を知りながら、今日のシフトを迎え、フロントで大勢の消毒の人や防護服を着た救急隊が来たのを対応しているはずなので、本当なら私よりもっと心の中がざわついていたかも知れません。
それでも、私の質問にひとつひとつ答えてくれました。
そうは思っても心の準備がなさ過ぎて、あまりのショックに、電話を切った後、私は、言葉にならない声を出して、叫んでいました。
大声で叫んだら少しだけ決心がついて、思い切って廊下に水を汲みに出ると、散布された消毒薬で床という床が水浸しでした。
まだ、心の中のドキドキやザワザワは、晴れません。
この後自室から日本語教師の授業があったのですが、あまりのショックに生徒さんに授業を別の日に変えてもらえないか、お願いした程でした。
生徒さんは快く日程変更をOKしてくれましたが、自分の体調が悪い訳ではないのだし、こんな事でレッスンを休んでは迷惑をかけると思いなおし、予定通りレッスンをさせてもらう事にしました。
そして平常心を装って授業をしていたら、ひとり部屋で悶々としているよりも、生徒さんとレッスンを通して会話した事が良かったのか、随分と心が晴れました。
その後も、同じフロアの人が感染者だったとわかったショックから気を紛らわそうと、今度は違うフロアに住む、外国人の友人にLINE電話をしました。
すると彼は心配してくれながらも
「うん、(コロナになったのが誰か)知ってたよ。
君の隣の部屋の男性だろう?
マリア、君体調悪くないかい?大丈夫だよね?」と言って来ます。
この人はいつもこんな感じで、優しいのか、ちょっと意地悪なのか、よくわかりません。
私の体調が悪くないかばかり、ふざけて聞いて来ます。
この男性は台湾に何十年も住んでいて、Cさんから一目置かれているので、Cさんは私には話さない事でも、このEさんには話します。
やっぱりCさんは誰が感染しているか知っていたんだと、この時に確信しました。
(台湾ではこういう事がよくあります。)
けれど、よく考えて見れば、救急車が来た時間に私が部屋に居なければ、同じフロアの人が陽性者だとはまったく気づかずに済んだ事なので、もしかしたらCさんは、私をむやみに不安な気持ちにさせないように、優しさから嘘をついたのかも知れません。
今はもう、外国人男性Eさんによって、感染者は私と同じフロアという事だけでなく、壁一つ隔てた隣の部屋の人だと、気づいてしまいました。
Eさんは心配してくれているのか何なのか、体調悪くないか?と繰り返し言ってくるので、モヤモヤが晴れたような、晴れないような、気持になって来ます。
ここはやっぱり、いつも助けてくれる台北市内に住んでいる日本人の友人に話を聞いてもらう事にしました。
こんな時に日本語で話せるのは、やっぱり心強いです。
市中感染が拡大して来たので、このお友達ともほとんど会えていなかったので、はじめてTV電話で話をしませんか?とお願いして、お互いの顔を見ながら今日の出来事やいまの台北・新北の状況などを共有しました。
そして、感染者数の多い新北市の、共通の友人が住んでいる地域や、私が住んでいる地域でも軍隊が出て、ロックダウンの予行演習をしていた事など改めて確認しました。
友人は台北のシェアハウス住まいで、怖いこわいと口では言いながらも淡々と過ごしています。
それからも、そっちはどんな風にコロナ対策してる?とか、どんなご飯食べてる?とか、長時間話していたらだんだんと、落ち着いて行きました。
医療従事者に感謝
後から冷静になって、救急車に乗って行った若い男性の事を考えました。
彼は隣の部屋に住んでいたのに、ずっーと静かでした。
それから、前にフロントの人が、教えてくれた事も急に思い出しました。
私の隣の部屋の男性は、近くの病院に勤める看護師さんで、とても優秀な人だということ。
それで兵役に行く予定だったけどコロナで延期になったので、それを待ちながら昼間は仕事をしていて、夜は8時には寝るのだと教えてくれました。
コロナの感染者が出たという掲示が貼られてからは、きっと彼は仕事にも行かず部屋の中にいたはずなのに、咳が聞こえてくるのは他のフロアばかり。
隣の部屋の人は、住んでいないのでは?と思うぐらい静かでした。
それに救急車に乗っていく時の歩き方も、立ち姿も、背筋がピンと伸びていて、とても姿勢が良く、健康そのものでした。
これはあくまでも私の推測ですが、彼は医療従事者であるが故に誰かの濃厚接触者になってしまっていて、その通知を受けて検査をしたら運悪く陽性で、だけどそこまで酷い症状は出ていなかったのではないか。
と思いました。
それに部屋の外で彼をまったく見かけなかったのも、彼自身が医療従事者なので、他に感染を広めない為にも部屋にずっと籠っていて、他の人に広めない為の対策はしてくれていたのではないかと、そんな風に思ったのです。
それを考えたら、一般の人が感染してしまった場合より、隣に住んでいたのが知識のある彼だった事に安心をして、気分が落ち着きました。
それと同時に、ふだん見かける事のない隣の部屋の人でも、感染したと知ると、寂しい気持ちにさえなりました。
これまで気にした事がなかったのですが、ベランダから隣の部屋の人のベランダに目をやると、沢山の靴下を干したままで、取り込まれない日々が続きました。
来る日も来る日も私はその大量に干された靴下を見ては、いまどうしているんだろう。
症状は安定しているんだろうか。
いつになったら戻って来られるんだろう。
と考えていました。
再び訪れた恐怖
隣の部屋の住人が隔離施設に移送されてから何日も経ったある日、隣の部屋からまた掃除機をかけるような音が聞こえて来ました。
台湾では掃除機は使わないはずなのに?
あの日、廊下は消毒して行ったけれど、もしかして部屋の中の消毒は今日だったということ?
もしかして、もしかして排水は私と壁隣の看護師君の部屋とでは、同じ所を流れて行きますか?
エアゾル感染とかある???
視覚から入ってくる情報と言うのはなかなかインパクトが強くて、台湾で他人事のように見ていた感染者が出た建物を消毒する光景が再び蘇って来ました。
SF映画のような服装で数人が消毒液を巻きながら歩みを進めて行く光景です。
その日は部屋で大学の講義を受けたりいろいろあったので、あまり廊下には出ずにいましたが、用事があって廊下に出ると、看護師くんの部屋のドアの隙間から大量の消毒液が流れ出ていました。
看護師君とのお別れ
さらに何週間か経って、遅くまで寝ていたある朝、扉と言う扉を開けるような大きな物音で目が覚めました。
さらに追い打ちをかけるように、ドアの下の隙間から薬品のものすごい匂いが部屋に入って来て、頭が痛くなりました。
何が起こっているのかと思ってベランダに出ると、昨日まであった看護師君の洗濯物が綺麗に取り込まれています。
薬品の匂いで頭痛を感じながら、とにかく部屋の外に出ようと着替え、身支度を整えて1階にあるフロントまで辿り着くと、看護師君が私の横を通って、建物の外に出て、タクシーで去っていく姿が目に入りました。
看護師君、無事だったんだ!そう思ってホッとはしたものの、洗濯ものも消えていたし、部屋のドアは開放されたままだったので部屋を引き払ったのかと思って、そのままマネージャーに尋ねると
「そう、彼帰って来たんだよ。
だけどもうここには住めないからね。
部屋を引き払ったんだよ。」
と教えてくれました。
看護師君とはほとんど話した事がなくて、なのにいま思い返してみると、彼が治療施設に移送される時も、部屋を引き払う時も居合わせてしまった事を不思議に思っています。
そして彼の歩く姿勢を思い出しては、きっと今も健康で、元気に台湾で過ごしていると信じています。
その後の清掃スタッフの方たち
台湾ではみなさんが既にご存じのように、今回のコロナではロックダウンも、どこかの建物ごと封鎖するような事も行いませんでした。
看護師君が住んでいた部屋は、看護師君が部屋を引き払った後に消毒され、そして清掃スタッフやスタッフの方たちの手によってドアと窓が何日も開け放たれ、換気が行われました。
それは私が、え!まだドア開けっぱなしなの?!と驚くほど、何日も何日も行われました。
もしかしたら数週間単位で、家具、ドア、窓などの扉と言う扉を開けっぱなしにしていたのではないかと思います。
そして私が台湾を離れるその日も、みなさん元気に出勤されていて、そして集合住宅の他のみんなも変わりなく元気な日々を過ごしていました。
2022年の台湾のコロナの現状
2022年5月の現地情報によると、台湾はゼロコロナからウィズコロナに大きく舵を切ったようです。
私が住んでいた頃とは少しだけ状況が変わっています。
そして春の感染爆発からようやくピークアウトを迎えて平穏な日々を過ごしていましたが、8月には今度はBA5への起き代わりが進んでいるとの事で、BA5の報道が加熱しており、私がいた頃と変わらず、重々しい消毒作業が今も行われています。