ワクチン不足の台湾で隣室がコロナ感染
台湾では情報はすぐに広まります。
マーシャル・ロー(戒厳令)時代の名残りだという人もいれば、台湾人は何でもオープンで、民主主義だからと考える人など、その理由は様々です。
これは私が台湾を離れる3カ月前に起きた出来事です。
台湾にいる状態で公表するにはリスクがあり過ぎると考えたので、2022年のいま、ようやく情報解禁する事にしました。
台湾では過去にも疫病と闘った歴史がある
日本は水際で食い止めた鳥インフルエンザA(H7N9)とSARS(重症急性呼吸器症候群)ですが、2013年には世界で初めて鳥インフルエンザA(H7N9)ウイルスのヒト感染事例が報告されました。
同じ年に、少し遅れて中国から帰郷した台湾籍の男性が鳥インフルエンザA(H7N9)に感染していた事がわかり、台湾や日本でもニュースになりました。
さらに遡ること2002年には中国広東省でSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染報告があったとされていて、そこから広東地方や香港に拡大し、台湾にまで広がって行ったといわれています。
台北市立病院で起きた院内感染と悲しい過去
2003年SARSが猛威を奮っていたころ、台北のど真ん中にある市立病院のうちのひとつ、台北市立和平醫院にSARSの患者さんがいる事がわかりました。
この病院は政府機関があるエリアにあり、台北で在留資格を申請する外国人が資格申請や延長の為に訪れる移民署の近くにあるので私も行った事がありますが、大きくて立派な病院です。
このような立地にある病院ですから、当時も多くの患者さんがいたと思われます。
そして不運にも同病院内でSARSの院内感染が発生してしまいます。
医療従事者の方達は懸命に治療に当たりましたが、最終的に時のリーダーたちの判断によって、入院患者と職員を病院内に残したまま、病院は事実上封鎖されました。
記録によるとこの時に猛威を奮ったSARSは台湾全体で見ると陽性患者数が346名に上り、うち73名が死去。
この病院の封鎖に遭った7名の医療従事者が殉職しています。
いま外務省の海外安全ホームページを見るとCOVID-19(新型コロナウイルス)や紛争の情報で溢れています。
それはそれでとても痛ましい事なのですが、私が渡航する前の台湾はすっかり治安も良くなっていたので、注意情報が少なく、鳥インフルエンザA(H7N9)やSARS(重症急性呼吸器症候群)が台湾でどのような状況だったかをすぐに確認する事が出来ました。
日本にいると普段気にはしませんが、世界的規模で見ると数年に一度、世界のどこかでこのような疫病の感染例が報告されているので、台湾滞在中には、もしもに備えて生活するよう心掛けた生活をしていました。
台湾でのコロナ感染者の報道のされ方
希望者へのワクチン接種が行き渡った今の台湾では、他国と同様にウィズコロナに舵取りをしたようです。
ですが私が台湾にいた頃の、重症化リスクが今よりもっと高かったコロナの頃は、前出の悲しい出来事のせいでしょうか、陽性者の事は、政府によって事細かに発表されていました。
いつも明るく励ましてくれる台湾の人たちの口から直接、「自分たちにはSARSの時の記憶があるから」という言葉を幾度も耳にしました。
その頃、政府が開く記者会見ではコロナ感染者を「台北市〇〇区に住む台湾籍の20代男性会社員、渡航歴有、数値は幾つ」などのような概要はもちろんのこと、その人の入国から陽性と判明するまでの足取り、そして立ち寄り先の時間や乗車したバスの系統まで発表されました。
さらに、その時間に陽性者が立ち寄った場所にいた人は濃厚接触者の可能性がありますから、専用ダイヤルに連絡してくださいといったアナウンスも忘れていませんでした。
そこまで公表されてしまうと、近所に住んでいる人は大体どこの誰が感染したか察しが付いてしまいます。
それがLINEを通して、少し遠くに住んでいる人の耳にまで入ってくる事もあったようです。
そもそも台湾社会では、『隣に住んでいる人がどんな人かわからない』などというのは、ほとんど聞かない話です。
賃貸契約は大家さんと直接する習慣があり、ゴミ捨ては自分でゴミ収集車を追いかける事も普通にある台湾社会で、例えお隣さん同士が知り合いでなかったとしても、近所に住む大家さんや、ゴミ捨ての時間に集まってくる近所の人が新参者を放っておくはずがありません。
どこに住んでいて、どんな家族構成で、どの大学を出て、どこに勤めているかまで聞いても怒られない台湾社会ですから、近所の人の事はよく知っていると思った方が良いでしょう。
ニュースを見た時に近所の人は、どこの集合住宅で陽性者が出たかや、誰が陽性になったかを知っている可能性が非常に高いのです。
それは言葉もわからない、近所付き合いがない外国人であったとしても、同じです。
外国人である事自体、それはそれで目立ちすぎる存在なので、すぐに気づかれてしまうでしょう。
恐怖体験をした台湾の部屋
私の恐怖体験は、台湾で最後に住んだ集合住宅で起きました。
そこは山の上にある外国人向けの寮のような宿泊施設です。
当初は2人用の相部屋を申し込んで入居していましたが、2020年の春になると、同居していた日本人の女の子は台湾で就労ビザが取れずに帰国してしまいました。
そうして数カ月もするとコロナが世界中で猛威を奮い出したので、冬休み明けで日本から入国したばかりの私は自主健康管理をしなければならない事もあり、私は2人部屋に一人で住むようになりました。
台湾にはまだワクチンの備蓄がほとんどなく、鎖国でもするのかと思うくらい、台湾政府はすぐに入境規制を行ったので、台湾から帰国する外国人はいても、入ってくる人はほとんどいなくなりました。
私たちがいた集合住宅の相部屋を借りていた他の人たちも、部屋はそのまま、一人で暮らすようになり、入居者は減っていく一方だったので、賑やかだった館内はすっかり静かになってしまいました。
集合住宅の構造
その建物は2棟から成っていて、1棟は8階建て、もう1棟は5階まで部屋がありました。
一階にロビーがあって、出入り口は自動ドアになっています。
地下一階に図書室と会議室、共同冷蔵庫やキッチン、そしてトレーニングルームとコインランドリーまであります。
私は5階建ての棟の5階の、エレベーターホール付近の部屋を借りて住んでいて、そこから上に上がると屋上にもコインランドリーと物干し場がありました。
その集合住宅で他の住人と顔を合わせるのは、主にロビーや共同キッチン、図書館、そしてコインランドリーとエレベーターといった場所でした。
2019年から2020年にかけての冬休み、私は日本に帰国し、日本の実家のテレビで新型コロナの感染状況を見ていて、そんな時期に台湾に戻ったものですから、SARS(重症急性呼吸器症候群)の教訓が脈々と受け継がれている台湾の人たちの、台湾の外から入って来た私に対する反応というのが、少し悲しい事さえありました。
そんな状況下、私は相も変わらず、自分で出来る限りの万全な対策で生活をしていました。
私は個人で精いっぱいの感染対策をしていましたが、台北市で市中感染がいくつも起きた2021年5月の金曜日の午後、私たちの通っている大学は急遽オンライン授業に切り替える決断をしました。
私は幸い金曜の講義を取っていませんでしたが、登校していた生徒たちには突然の帰宅指示が出たようでした。
オンライン授業で気づいた周りの変化
それまでは家から大学までバスと電車を乗り継いで1時間以上かけて通っていました。
移動時間中のほとんどは、台北MRTという地下鉄の中にいます。
授業が終わると学内の図書館へ行ったり、そのままバイトに行っていました。
ですから外の状況というのを知る時間は、それ程ありませんでした。
バイトは台湾人の社会人からお子さんにまで日本語を教えていて、大学の授業が終わると指定された企業やカフェやお宅に行ってレッスンをしていました。
ところがコロナが蔓延すると、社会人の人たちは会社から命令が出ているなど様々な理由で在宅勤務になり、授業もオンラインでやって下さいといってくれました。
でも小さいお子さんがいるお宅では、なかなかそうはいかないので、親御さんからのリクエストもあり、コロナが収まるまでレッスンはお休みになりました。
台湾の他の人の生活ももちろん一変した訳ですが、私もそれまで部屋にはほとんど寝に帰るだけだった生活から、バイトも大学の授業も家に居ながらする生活へと変わりました。
そんな風にして過ごしていた頃、私たちが住むエリアでも陽性者が出て、その人が私たちの住まいからいちばん近い市場と大型ショッピングセンター、そして駅ビルに立ち寄ったというニュースが飛び込んで来ました。
当時はまだコロナウイルスの正体は今よりも、もっとわかっていなかったですし、日本でマスクが不足して大変だったように、台湾は新型コロナウイルス用ワクチンの購入をほんの少ししかしていなくて、医療従事者への供給量も足りなければ、希望する人には尚更、ワクチンの接種をしたくても出来ない、そんな不安な状況でした。
異国の地で感じた不安
ニュースになった市場や大型ショッピングセンターには、私も、私の友人たちもよく買い物に行っていました。
そして私はその駅ビルに、その陽性になってしまった人が訪れた数日前に買い物に行っていました。
陽性になってしまった方には申し訳ないと思いつつも、もし同じ時間に買い物をしていたら、濃厚接触者の扱いを受けていたと思ったら、とても怖くなってしまいました。
それでも、他の居住者たちは何事もなかったかのように楽しそうに生活しています。
もしかしたら、ある人は中国語がそれほどわからないので、怖さがわからないのかも知れません。
ある人は元から楽観主義なのかも知れません。
またある人は、そうなったらその時はその時と考えていたのかも知れません。
けれど、私は違いました。
台湾の人たちと同じように、コロナをとても恐れていました。
そして、どんなに親しくなっても、ここでは私は外国人なんだという気持ちも持ち続けていました。
私の頭の中で、こんな考えが次々と湧いて来ました。
ここでもし感染でもしたら報道されるだろうし、大学を順調に卒業できたとしても、異国の地でワクチンも接種できないまま隔離されてしまう。
隔離先はどんな状況なんだろう。
万が一体調が悪くなったとき、ただでさえ辛いのに、中国語で上手く伝えられるだろうか。
感染者が増えているこの時期に、外国人の私まで分け隔てなく治療してもらえるのだろうか。
外に出るのも怖くなって行ったので、思い切って買い物は宅配を使ってみようかと考えて、同じ台北市内に住む語学学校時代からずっと助けてくれている日本人の友人T君にLINEで連絡を取り、アプリの使い方や決済方法を聞いてみました。
彼は本当に情報通で、いつもいろいろ教えてくれます。
私は幸い台湾に銀行口座を持っていたので、家から一歩も出ずに置き配で、買い物から決済まで済ませられるようになりました。
自炊と比べるとコスパは悪かったですが、なるべく人と顔を合わせることなく生活できる環境は整いました。
台湾ではコロナ陽性者をサイレンを鳴らした救急車が迎えに来る
私は陽性になったり、濃厚接触者になって自由を奪われるより、自分の生活スタイルを自分でコントロール出来る生活がしたくて、その結果としてあまり部屋から出なくなりました。
私の部屋は道路側の、外が良く見える部屋でした。
すると、それまで静かだった山の中の小さな道を、サイレンを鳴らして上がってくる救急車に気づくようになりました。
台湾の夏のはじまりは早いのです。
それが、頻繁に救急車が上がって来ては、同じ方向に向かって行く事に気づくようになりました。
同じ人が何回も救急車で運ばれているのかしら?
持病を持っているのかしら?
お気の毒に。
はやく良くなると良いな。
と思っていました。
ある日は、また別の方向に救急車がサイレンを鳴らして向かって行って、それが日に何回も繰り返されました。
宅配の事を教えてくれた、仲良しの日本人のお友達とLINEでコロナの事について話していると、新北市が公開している、救急車と消防車がどこを通っているかわかるサイトを教えてくれました。
ある日には、近所に住む日本語を教えていた生徒さんの家の方に救急車が向かって行ったので、その新北市のサイトで確認すると、台北市を横断して、新北市中を沢山の救急車が新型コロナウイルスの陽性者を迎えに行き、そのまま陽性者治療のための専門指定病院に入って行くのがリアルタイムでわかりました。
そこではじめて、どうも最近よく聞くようになった救急車のサイレンはただの病気の人を搬送するものではなくて、コロナ陽性者を迎えに来て、そのまま処置施設まで移送して行くものだと気づきました。
救急車は陽性者の方がいる建物に到着するとサイレンの音をピタリととめるので、表まで見に行かなくても、部屋から見える範囲であれば、どの集合住宅に迎えに来ているか、どの住宅で陽性患者が出たか察しがついてしまいます。
その頃の台湾では、家庭内感染もよく報道されていて、連日同じ建物に何度も救急車が来ているのを見たりすると、同居の家族が陽性になったのかなと心配になって、しばらく心がざわつくのでした。
この記事は続きます。