ブログ読者のみなさま、すっかりご無沙汰しておりました、マリアです。
私はまだ台湾にいます。
世界のコロナ対策優等生だった台湾も、遂に市中感染がはじまりました。
でも私がブログを書く時間がなかったのは、コロナとは全然関係ないんです。
大学の勉強とバイトの両立でとにかく忙しかった。ただ、それだけなんです。
さて今日は「察する」をテーマに書いて行きます。
台湾のひとは察する事ができない
いきなりですが、台湾の人は察するのが下手な人が多いです。
どうしてわかってもらえないんだろう。
言葉の問題なのだろうか?と悩んだこともありました。
でも言葉の問題ではないのです。
察することが出来ない理由
1.察するという文化がない
日本統治時代に日本の教育を受けていたり、その親御さんに育てられた年代の方は、まだ察する事ができる人が多いのですが、日本とは違って察する文化がない以上、伝え方を相当工夫しないとまったく理解してもらえません。
そもそも、察するという文化自体が日本にしかないと思った方が良いでしょう。
察してよ。察しないあなたがおかしいんじゃないの?という空気にさえなる日本は時折窮屈ではありますが、慣れてしまえば、とても楽な習慣・文化だと思います。
察する習慣がない人と会話をする時、伝え方を間違えると、まず間違いなく喧嘩に発展するか、メンドクサイやつと思われて終了になります。
そんな時は比較的察する能力が高い台湾の人に間に入ってもらうのが賢いやり方です。
2.国語力の低下
日本も教育改革が何度か行われました。
その結果、年々国語力が下がって来ていると言われて久しいですが、台湾でも同じような現象が起こっています。
ただこれも、人生の経験値を上げていく事で多少改善される可能性があるのではないかと思います。
その理由は以下に書く経験値の少なさにつづきます。
3.経験値の少なさ
私が台湾で頻繁に接する人たちは大学の職員さん、先生方、大学生がメインになっています。
修士や博士を取って、一般の会社で働いたことがないまま教員になられた先生方の中には、話がなかなか通じない方もいらっしゃいます。
いろいろな大学で講師として指導されている先生方や、他のお仕事と並行して大学で教鞭をとっておられる先生方はわりと共感力の高い先生方が多いように感じるのですが、教育部や学校の規定のしばりもあるのか、規定に書いてあること以外の事はおっしゃらない先生や職員さんもかなりいる印象です。
ただこれも決してすべての先生方ではなく、定年間近の先生方になると対応が異なるので、やはり経験値の部分が大いに関係するのではないかと思います。
では学生はどうでしょうか?
学生はとにかく社会人経験もなければ、予定外の事に対応する経験値もまだ少ないです。
それに加え、国語力の低下もあるのか、話が通じない事の方が多く、大変な思いをしています。
そんな中でも、もちろん話が1回で通じる子もいます。
そういう子は、プライベートで日本語を長年勉強していて、日本語をけっこう話せる、日本大好きな子が多いです。
彼彼女らは、日本語習得の過程で、日本人の察する文化を自然と習得しているのかもしれませんね。
どんな風に話しが通じないのか
いろいろあって書ききれないので、直近の例でご説明します!
台湾でも4月下旬から5月初旬にかけ市中感染がはじまったため、我が校は政府からの通達を受け、5月17日から28日までをオンライン授業に切り替えていました。
私は先生に、6月はどうするのかと聞きましたが、政府や教育部(日本でいう文部科学省に相当)の通達があるまでは大学側も決められないとしか言われませんでした。
先生も学校長も毎日台湾政府から発表される感染者数のニュースは見ているはずで、学校に携わる人々の安全を考慮すれば、政府の通達を待たなくても独自に決めても良いような気がするのですが、先生は、「まだ状況が好転するかも知れないし、わからないでしょ?」としか言いませんでした。
台湾の学校はセメスター制
日本統治も終わった台湾では、欧米の制度を多く取り入れています。
学校の学期もセメスター制(2学期制)を取っていて、9月から春節の数周間前までが一学期、春節が明けた冬休み後(旧暦の暦で決めます。だいたい1月か2月頃)から6月までが二学期となっています。
いま私たちは2学期の真っ最中で、今学期は6月で終わります。
特に卒業を控えている私たちの学年は、6月の3週目までしか大学に行かない子も多いのです。
5月もあっという間に終わろうとしているのに、なぜ6月の判断ができないのか、かなりもどかしい気持ちになりました。
市中感染が起きている台湾
政府が市中感染というワードを使い、警戒レベルも最高レベルから一つ下の3となっている台北市、新北市にある大学で、そんなに悠長に構えていて良いものかかなり疑問でした。
大学にはかなりの人数が集まります。
そこに通勤、通学で移動する人もかなりの数になるのです。
5月末なんてもうすぐですし、なぜ6月の事が決められないのだろうと思っていたら、今日になっていきなり、今学期(二学期)はすべてオンライン授業です!との通達が来ました。
個人的には「やっぱりね」という印象でした。
安全を考慮すればそうなるでしょう。
しかも今週は台北市、新北市の中学生や小学生でも感染者が判明したので、オンライン授業に切り替わったのはなにも大学だけでないのです。
卒業式もなくなりました
今年6月をもって卒業する私たちが顔を合わせたのは先週の授業が最後でした。
それも全員と顔を合わせた訳ではありません。
全員で集まる卒業式もなくなりました。
出席者がいるとしても、代表者が出るだけでしょう。
本当に突然の出来事でしたし、突然の通達でした。
LINE無しでは生きられない台湾の人たち
台湾の大学ではグループラインをフル活用しており、私のクラスでも、クラス全員と担当教員が参加するグループラインがあります。
今日のオンライン授業になった旨の通達も、グループLINEを通して来ました。
台湾の人に察してもらえなかったエピソード
ところで、台湾の卒業式では西洋に習ってアカデミックガウンとアカデミックキャップを被るのですが、実は台湾独自の理由があり、生徒の自宅には今もそれがあります。
私のクローゼットの中にもまだあるんですよ。
大学に行かないとなると、それをどう返せば良いのかという疑問が出て来る訳ですが、そんな質問は誰もしません。
出たのは、「もうみんなで話す機会はないのかな?」とかそういう話だけでした。
そこでアカデミックガウンとアカデミックキャップの返却方法について、思い切って聞いてみました。
すると「大学の〇〇部署に聞かないとダメだよ!」という答えが返って来ました。
台湾ではいま、屋内では5人以上、屋外では10人以上集まらないでと政府から通達が出ています。
聞きたいのは「大学の〇〇部署に聞かないとダメだよ!」とか、そういう事ではないのですよね…。
オンライン授業になったので、私はてっきりどこそこに郵送で返却して下さいなどの回答が来ると思っていたのですが、思っていた回答とまったく違いました。
質問した事すら後悔しました。
黙って追跡番号付きで返却すれば良かったとさえ思いました。
70数人いるなかで、勇気出して聞いてみたのですが、ぜんぜん意図が通じませんでした。
ぜんぜん察してもらえませんでした。
「それって私が(代表で〇〇部署に)聞く必要があるってこと?」と聞き返してみると、こんな回答が来ました。
「大学の〇〇部署に8月3日までに返却してください。
事務所が空いている時間は何時から何時までです。」
↑↑↑↑↑
これって、市中感染が広まる前の規定なんです。
え、だから、人の移動は避けてくださいって政府が言ってますよね?
あなた台湾の方ですよね…?
びっくりして聞きました。
「返却の為に学校に行っていいってこと?」
このやりとりを見ていた先生が割って入って来ました。
「職員さんはA番とB番でわかれて出勤してるから、大学来て大丈夫よ。」
いや、そういう問題じゃないですよね。
忘れてました、この先生マイカー通勤でした。
電車通勤されてないので、電車通勤の私などと比べれば、比較的安全なのでした。
他のクラスメイトはどうやって返却しようとか悩まないのかな?
お家の方に車で送って貰うのかしら?
いつまでも家に置いておいたら、それはそれで延長した分のレンタル料金請求されかねません。
事情がある場合、返却期日をいついつまで猶予とか、ないのかな?と思ったのです。
勇気を持って聞きましたが、聞きたい話とは全然違う回答しか得られないので、会話を終える事にしました。
「私は台湾でいま運転できないし、他に大学行く用事があるか自分で考えてから決めます。ありがとうございました!」と。
こんな風に話が通じない、察してもらえない事が多いです。
私は自分の事だけを考えて質問したのではありません。
大学に通っているのは、台北・新北の子達だけではないのです。
うちの学部に限って言っても、近隣の県や、遠くは南部、中国はマカオから来ている子もいるのです。
今は人の移動はなるべくしないようにと政府から通達が出ていますが、登校しなくても良くなり、卒業式もないのなら、台北・新北エリアにいつまでも留まる必要がない子たちも当然ながらいると思うのです。
そういった人たちはいつまでにどのような手段で返却すれば良いのか?を今から心配する私が、急ぎ過ぎなのでしょうか?
確かにまだ先の状況は誰にもわかりません。
ですが、そうかといって卒業ガウンの為だけに、慌てて大学や郵便局へ行くのも今はリスクがあると思うのです。
もともとは現時点で何か決まっている事があるのかと思って聞いただけなのですが、話がどんどんややこしくなって行きました。
ここでもまだ喰らいついて、こういったわかって欲しい事を説明しても良いのですが、クラスメイトが「ああ、マリアが言ってるのはそういう事か!」と気づいた所で、彼らに特に何のメリットもありません。
このように話が通じない事は本当に頻繁に起こるのですが、察するという文化で育って来た日本人の私は、毎回かなり早い段階で、心が折れるのでした。