お正月明け最初のお休みはいつ?
みなさん、台湾でお正月明け最初の祭日がいつかわかりますか?
勘のいい人はもう気づいているかも知れませんね。
正解は、タイトルにもある平和記念日です。台湾では「和平紀念日」と言われています。これは台湾の複雑な歴史を反映している日です。
現地の人や小説からわかったこと
ここから先は私が台湾の人たちから聞いたり、台湾の小説の中に描かれていたりする事をまとめて書きますね。(万が一私の認識が違っていたらご指摘ください。)
台湾人は何人?
そもそも台湾に住んでいる人たちって何人なの?とわからない人も多いと思います。
むかしむかし、大昔、台湾には原住民と呼ばれるいろいろな種族が住んでいたそうです。
その後、中国から客家(ハッカ)と呼ばれる人たちが台湾に移り住んできます。
それからしばらくして、中国は主に福建省からの人たちが移り住みました。この人たちは今でも本省人(ほんしょうじん)と呼ばれることがあります。
九州ぐらいの大きさの台湾島には、過去にもオランダ人やスペイン人が流れ着き、開拓したり、土地を統治しようとしたりしました。
中国の清王朝と日本もそうで、両国がそれぞれ異なる地域を統治していた時代もありました。
その歴史の中で、たびたび土地や利権争いも起こっていたようです。
他国を統治した当時の事を、日本人の私が正当に評価する事自体がとても難しいのですが、台湾の人たちの話を聞くと、日本統治時代は、道路をはじめとしたインフラを整備し、衛生環境を整え、教育も施すなどしていたので、そういった面では、結果として台湾に貢献もしたようです。
当時の日本人が台湾国内にいくつも建てた現代建築は、今でも台湾政府が大切に保存してくれていて、台湾人の自慢でもあります。
政治も長年安定していて、内戦が長年続いていた中国本土とはその差がどんどん開いていったと言います。
ですが皆さんご存知の通り1945年8月に日本は敗戦し、台湾を放棄しました。
そのうちに内戦で劣勢になった中国国民党の人たちが台湾を拠点に戦いを続けようと逃げて来ました。
中国から国民党が来て喜んだ人たち
その時、台湾の本省人たちの中には、祖国の人が来たと喜んで迎え入れた人たちがいたといいます。
けれど、その人たちが作った新しい政府は腐敗していき、搾取が行われたり、治安も徐々に悪くなって行ったと小説などに描かれています。
1946年には軍警察と国民とのいざこざが常に起こってしまいました。
そんな中、1947年2月27日ついに1人の一般市民が犠牲になります。
そして翌2月28日死傷者数十人が出る争いに発展しました。
その他にも政府の本省人に対する弾圧は密かに進められていきました。
台湾大学で日本の教育を受け、台湾の未来を担う予定だったホワイトカラーの方の中には、「行って話をすればきっと理解してもらえる」と言い残し、それきり二度と帰らなかった人さえいました。
本省人と対照的な呼び方が外省人なのですが、当時は政府と関わりのない外省人もまた貧しく生活が大変だった事などが描かれた小説や映画もあります。
エドワード・ヤン監督の作品に描かれている
外省人の友達が少ないのでは、それが事実かどうかはよくわかりませんが、『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』という映画は、外省人の子供たちが関わった実際にあった事件を元に描かれたものだそうです。
余談ですが、牯嶺街(クーリンチェ)は、いまはとても賑やかな大安区は古亭のあたりにある地名です。昔の新聞記事を読み漁りましたが、私の記憶が正しければ、南昌公園があるあたりで起きた事件のようです。
今はすっかり様変わりして、そのような面影はまったくありませんが……。
いずれにしても、物事は一方からだけ見るのではなく、いろいろな角度から見なければいけないなと思います。
私たち外国人にとっては単なる休日のうちのひとつなのですが、関係者の方々にとっては複雑な思いの一日なのだろうなと思います。
本省人か外省人かのアンケート
今では祖国から来た人たちも、3世や4世の世代となっています。
マスメディアがときどき実施する「あなたは自分を何人だと思いますか?」というアンケートによると、外省人の3世、4世の人たちの間で「自分は台湾人だと思う」と答える人の割合が増えているという調査が出ています。
ふだんはニコニコしていて辛い事など言わない台湾の人たちですが、そんな悲しい歴史の日が「二二八記念日」となり「和平記念日」として残っています。
そして今年は3月3日まで連休となりました。
いったいどれだけの人が、この2月28日に特別な思いを馳せているのかわかりませんが、せっかくの連休なので有意義に過ごしたいと思います。
最後に、228記念日について原文のリンクを載せておきます。ご興味のある方はどうぞ。