平和記念日と228事件

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みなさん、台湾でお正月明け最初の祭日がいつかわかりますか?

勘のいい人はもう気づいているかも知れませんね。

正解は、タイトルにもある平和記念日です。台湾では「和平紀念日」と言われています。これは台湾の複雑な歴史を反映している日です。

ここから先は私が台湾の人たちから聞いたり、台湾の小説の中に描かれていたりする事をまとめて書きますね。(万が一私の認識が違っていたらご指摘ください。)

そもそも台湾に住んでいる人たちって何人なの?とわからない人も多いと思います。

むかしむかし、大昔、台湾には原住民と呼ばれるいろいろな種族が住んでいたそうです。その後、中国から客家(ハッカ)と呼ばれる人たちが台湾に移り住んできます。

それからしばらくして、中国は主に福建省からの人たちが移り住みました。この人たちは今でも本省人(ほんしょうじん)と呼ばれることがあります。

九州ぐらいの大きさの台湾島には、過去にもオランダ人やスペイン人が流れ着き、開拓したり、土地を統治しようとしたりしました。

中国の清王朝と日本もそうで、両国がそれぞれ異なる地域を統治していた時代もありました。

その歴史の中で、たびたび土地や利権争いも起こっていたようです。あくまでも他国の統治ですので、日本人の私が正当にそれを評価する事はとても難しいですが、台湾の人たちの話を聞くと、日本統治時代は、道路をはじめとしたインフラを整備し、衛生環境を整え、教育も施すなどしていたので、それはそれで台湾に貢献していたようです。

当時の日本人が台湾国内にいくつも建てた現代建築は、今でも台湾政府が大切に保存してくれていて、台湾人の自慢でもあります。政治も長年安定していて、内戦が長年続いていた中国本土とはその差がどんどん開いていったと言います。

ですが皆さんご存知の通り1945年8月に日本は敗戦し、台湾を放棄しました。そのうちに内戦で劣勢になった中国国民党の人たちが台湾を拠点に戦いを続けようと逃げて来ました。

その時、台湾の本省人たちは、祖国の人が来たと喜んで迎え入れたといいます。

けれど、その人たちが作った新しい政府は腐敗していき、搾取が行われたり、治安も徐々に悪くなって行ったそうです。

1946年には軍警察と国民とのいざこざが常に起こっていました。そんな中、1947年2月27日ついに1人の一般市民が犠牲になります。

そして翌2月28日死傷者数十人が出る争いに発展しました。

その他にも政府の本省人に対する弾圧は密かに進められていきました。

台湾大学で日本の教育を受け、台湾の未来を担う予定だったホワイトカラーの方の中には、「行って話をすればきっと理解してもらえる」と言い残し、それきり二度と帰らなかった人さえいました。

特にこのホワイトカラー弾圧に関しては近年まで情報が隠ぺいされていたので、ほとんどの人が事実を知らなかったといいます。それが徐々に公に公開されるようになり、いまでは多くの台湾国民が知る事実となっています。

本省人と対照的な呼称が外省人なのですが、当時は政府と関わりのない外省人もまた貧しく生活が大変だった事などが描かれた小説や映画もあります。(外省人の友達が少ないのでは事実かどうかはよくわかりませんが。)

今では祖国から来た人たちの2世3世の世代なので、マスメディアなどが「あなたは自分を何人だと思いますか?」と聞いたところ「台湾人だと思う」という割合が増えているという調査を見たことがあります。

ふだんニコニコしていて辛い事など言わない台湾の人たちですが、そんな悲しい歴史の日が「二二八記念日」となり「和平記念日」となり、何故だか私たちは今日から3月3日まで連休なのです。

いったいどれだけの人が、この2月28日に特別な思いを馳せているのかわかりませんが、せっかくの連休なので有意義に過ごしたいと思います。

最後に、228記念日について原文のリンクを載せておきます。ご興味のある方はどうぞ。

台北二二八紀念館-探索二二八事件