みなさん、こんにちはマリアです。
いよいよ、コロナ禍台湾から日本への帰国<完結編>のはじまりです。前篇、後編を読んでいない読者の方は、ぜひそちらもご一読ください!
ついに出国前72時間以内検査を受けられる病院に辿り着く
2019年の夏までは、パスポートとビザの事を調べたら、後は航空券と宿泊先の準備さえすれば海外まで辿り着くのは割と容易でした。
それが、新型コロナウィルスが流行した事によって、各国の入国条件が日々更新される事態に我々は直面しています。
日本に帰国したいという一心で、月曜のフライトを予約したは良いものの、72時間以内にPCR検査をしてもらえる病院を見つける事が困難で、何度も帰国できないのではないかと思いました。
しかし、これも何かの縁なのでしょう。
以前、熱中症で救急車を呼んだ際、運び込まれた事がある病院で、出国前72時間以内に検査をしてくれる事を知りました。
検査結果も、月曜ではなく、日曜日にくれるという事なので、私のフライトの条件に100%合っています。
遂に、ついに、見つけました。
PCR検査料金とお急ぎ文書発行手数料
検査料は4800元(1台湾ドル約400円換算で約18720円:2019年8月当時)と結構高いのですが、この中には文書を翌日に受け取れるスピード発行料金が含まれています。
この病院は台北市にある政府機関の分院なのですが、県立や市立および私立病院は、土曜の午前中しか診察していないのが当然で、急ぎの文書発行費用を出しても月曜の午前中にしか受け取れないのが一般的なようでした。
日本では個人で開業している病院でもない限り、土日祝祭日は休診でしょうから、土曜の午前中診察しているだけでも台湾では生活しやすいのですが、この病院は、更に、多くの大規模病院がカバーしていない土曜の午後の時間帯に、急診扱いではなく、普通にPCR検査をしてくれるというのですから、台湾てなんて凄いんだろうと、単純に驚きです。
情報がわかれば、後は実行あるのみです。
私はMRTを乗り継ぎ、その病院へと向かいました。
本当なら16時少し前に病院には着く予定で、前に薬をもらいに行ったりもしていたので入り口もわかっています。余裕で16時前には到着の予定でした。
ところが、実際には、病院側で一般の患者さんとPCR検査を受ける人の導線を完全にわけていました。
そう、ここにもコロナの影響が出ていたのです。
これは完全に盲点でした。
今までと病院の受付が変わっていて、病院の外壁に受付までの順路が貼りだされています。
検査する人はそれを辿って行くようになっていますが、コロナ禍で人が少ない上に、土曜の夕方なので順路に迷っても聞けそうな人は、近くを歩いていません。
結局、PCR検査の人は病院の建物の中は一切通らないように誘導されていて、行ったこともない建物の裏側に辿り着いた時には、あと数分で16時になろうとしていました。
受付が閉められてしまったら終わりだと焦ってかけよった先には、台湾のテレビでよく見ていた四角い箱がいくつか並んでいました。
テレビで見た、PCR検査を求める人たちが行列を作っていた光景とは違い、検査を受ける人は私以外誰もいなかったので、少し焦りました。
透明な箱の方を見ると、防護服を全身にまとった男性がさっとその中に入って行きました。
台湾のPCR検査
その男性職員さんは全身防護服で、頭には防護キャップを被り、マスクの上にはフェイスガードまで付けています。
日常とは違う、防護服姿の人を見るというそれだけでも緊張しますが、台湾のテレビで何度も見た光景ではありますが、より私を怖がらせたのは、透明のボックスの前面に二つの大きな穴が開いていて、そこに肩から指先までの長い青いゴム手袋がぶら下がっている光景です。
医療従事者の方はロボットのような、サイボーグのような格好で、そこから腕を伸ばして、鼻に長い綿棒を入れて検査を行うのです。
テレビのニュースで何度も見ていて、あれだけは絶対に嫌と思っていましたが、日本に帰国する為なので仕方がありません。
台湾の病院はなんてハイテクなのでしょう!
男性職員さんはその箱の中からマイク越しに「検査に必要な用紙書いてありますか?」と話しかけて来ます。
「書いてあります」と返事をすると、また透明の箱の中から「書類と台湾の身分証をお預かりします」と言って、その青い手袋越しに渡すよう促して来ます。
言われたまま渡すと、彼はボックスの中に書類を引き込み、そして書類のチェックが終わりました。
いよいよPCR検査だ。
鼻痛いのかな。怖いな。
緊張していると、その男性職員さんは箱の中から書類片手に出て来て、「こっちに来て下さい」と言うと、さっさと病院の建物の方へ歩いて行ってしまいました。
受付をしている間に16時は過ぎていましたから、彼の勤務時間はもうとっくに過ぎていたのでしょう。
私が提出した書類を見て、感染の疑いの為の検査ではない事を知って、そこまで厳重にしなくても良いと判断したのかも知れません。
着いて行くと、今度は遊園地のチケット売り場のような物が設けられていました。
男性職員さんは女性職員さんに書類を渡すと、病院内に消え去ってしまいました。
女性職員さんが透明の仕切り越しに話しかけてきます。
そして彼女はひとこと「はい、ここで検査します。動かないで」と言って、私が心の準備をあまりする間もないうちに、鼻に綿棒が入り、検査は終了しました。
さっきのサイボーグのようなゴム手袋は、結局、書類の受け取りにしか使われませんでした。
あんなに完璧に頭の先から足の先まで防御していたのに。
それでも、あの物々しい青いゴム手袋で検査される恐怖からは開放されたので良かったです。
検査翌日の日曜日、私は少しドキドキしながら結果を受け取りに行きました。
陰性なら無事帰国できるけれど、万が一陽性だった場合、台湾では厳重な隔離が義務付けられていて、とても面倒な事になります。
政府は連日感染者の在住地域、国籍、性別、年代を発表し、マスコミもその詳細を知ろうと質問をするので、日本人留学生が感染などしていたら、すぐに近所の人にわかってしまうのです。
結果は無事、陰性でした。
その二文字を見たとき、私の心はとても軽くなりました。
帰国当日
帰国当日、空港に着いたら楽天プレミアムカードに付帯しているプライオリティパスを使って、最後に美味しい料理をお腹いっぱい食べようと計画していました。
ところが実際は、退去する部屋の片づけや、荷物のパッキングに失敗してしまい、搭乗時間を過ぎてからの空港到着になってしまい、CAさんに付き添われた状態で慌ただしく出国しました。
飛行機に乗るとジャンボジェットには座席の4分の一ぐらいの乗客しかいませんでした。
私の前の席には防護服を頭から被った二人組が座っています。
機内食もふつうに出るフライトなのですが、日本に着くまでこの人たちはずっと防護服を着たままでいるつもりなのかしらと不思議に思いました。
元国営航空会社のサービスにほろりと来た
座席に着くとCAの方が席に回って来て、私に向かって「帰国は久しぶりなんですか?」と聞いて来ました。
CAさん達はチケット購入時に入力する情報で、どんな人が乗っているのか、事前にある程度わかっているのだと思います。
私が久しぶりの帰国で緊張していると伝えると、日本は台湾ほど厳しい規制は行っていないけれど、みんなそれぞれマスクを着けて過ごすなどの対策をしていて、ふつうに生活していますよと教えてくれました。
台湾の在住資格がある私は、台湾入国時には書類の提出は求められませんが、日本は日本国籍の者であっても、出入国カードの提出が求められます。
機内で物を書くという発想が完全に抜けてしまっているので、ほとんど毎回ボールペンは手荷物には入れていません。
他の航空会社だとボールペンを借りた後、必ず返却をして来ましたが、元国営航空会社さんは「どうぞお持ちください」といって、そのままボールペンをくれました。
機内食も飲み物も、今まで搭乗した中でいちばん良かったです。
日本に着いてから入国までが大変だった
私たちが乗っていた飛行機は日本に無事到着しました。
2年3か月ぶりに、遂に日本に帰ってきたのです。
8月の蒸し暑い都内の空港の中をフェイスマスクを付けたまま手荷物を持って移動しますが、なかなか入国カウンターまで辿り着かせてもらえません。
時期が悪くオリパラも迫っていて、空港内の通路の真ん中には赤いロープで左右に順路が別けられている箇所にも遭遇しました。
順路を間違えるとオリパラの選手や関係者と一緒になってしまうようでした。
そして入国まで、数々の関門が私たちを待ち受けていました。
最初の関門はPCR検査で、台湾と違い唾液を細長い容器にためる物でした。
荷物で手が塞がっているし、暑さで喉も乾いているので簡単ではありませんでしたが、梅干しを頭の中で想像して必要な量まで貯める事が出来ました。
フェイスガードは熱気で曇っていて、前がよく見えません。
これで入国させてもらえるかと思ったら、また順路にそって歩かされ、人が何人もいる所に辿り着きました。
一人にひとり説明の人が着いて、スマホでQRコードを読み取る形でアプリを入れて、必要情報を登録するよう促されました。
指示された通りに設定して行きますが、最後の確認の時に「すみません、確認させてください」といって私のスマホをベタベタと素手で触られました。
アプリの登録も終わったのでもう出られるかと思っていると、またぐるぐると歩き回り、また別のアプリを入れたり、入国後の説明など、3か所ぐらいの関門がありました。
暑くて喉が渇くし、その都度スマホをベタベタ触れるし、知らない人と至近距離で接するので、怖くなりました。
そして最後は椅子や自販機がある部屋に辿り着くようになっていました。
普段の入国より長い距離を歩いたと思います。
最初の関門で採取したPCR検査の結果をここでしばらく待つことになります。
手荷物を持ったままようやく飲み物を買って、極力人が少ない場所に移動して水分補給して待っていますが、私はぜんぜん呼ばれません。
結局PCR検査やアプリのダウンロードなど全ての手続きが終わり、日本に入国出来たのは、空港についてから、1時間以上後の事でした。
結果はここでも無事陰性で、この部屋を離れるとようやく預入荷物の引き取りや空港検疫カウンターといった、見慣れた場所に行けたのでした。
飛行機の到着から入国迄がいちばん疲れました。
最初の宿泊先
入国審査でもPCR検査が陰性だった人は空港検疫所が用意した周回バスを利用できます。
私はそのバスのルート上にあるビジネスホテルを予約していたので、そこに一泊する事にしました。
夕飯と朝ご飯をどうしようかと思っていると、買い物は自由だという事でしたので、マスクとビニール手袋を装着した状態でホテルの近くのコンビニに行き、手短に買い物を済ませました。
そして翌日家族に車で迎えに来てもらい、自宅で自主隔離生活をスタートさせました。
帰国者の自主隔離生活
日本の健康管理アプリがなかなかめんどくさい
私たちの大学は我々留学生に対して帰国しないように注意喚起を行っていました。
日々の情勢や政府の対策が日々変わるなか、一時帰国してしまうと、次はいつ再入国できるかわからないので、勉学に影響が出ると心配してくれての事だったと思います。
ですがそれには強制力はないですし、最終的には自己責任の部分ですから、その忠告にも屈せず、帰国した先輩がいました。
その先輩は昨年(2020年)の夏休みに一時帰国していますので、その時に日本で経験した事を教えてくれました。
当時は日本政府が行う健康状態確認の為に連絡先電話番号を事前申告制していたそうです。
先輩は連絡先を自宅電話番号にしていて、その電話も毎日ではなく、たまーにかかってくる程度のものだったそうです。
私たちは台湾での厳しい管理を見聞きして知っていましたので、それと比べると随分と緩い印象を受けました。
かかってくる電話の向こうは人間ではなく、自動音声応答システム(機械の音声が流れるもの)で、いくつかの質問に「はい」か「いいえ」で答えるものだったそうです。
ただそれがときどき反応が悪い時があって、なんど「いいえ」(または「はい」)といっても認識されず、ただでさえ自主隔離でストレスが溜まっている所にそれが来るので、更にストレスだったと教えてくれました。
その話を聞いていた時は、変なシステムで嫌だなあと思っていたのですが、それから一年も時間があったので、日本政府もいろいろと策を講じたのでしょう。
私が入国した時には、すっかり別の確認方法になっていました。
その名はmySOS
このアプリは、入国迄の1時間の間に、空港でスマホにインストールするよう指示されたものです。
そして空港から出て、自主隔離を行う場所に着いたら「待機場所登録」という操作をするように説明がありました。
自主隔離のカウントは入国翌日からはじまるので、当日は何もなく食事をしたりと移動の疲れを取って終わりました。
ところが入国翌日からは、不規則な時間にスマホが鳴りだし、現在地報告と健康状態報告を行うよう通知して来ます。
腹立たしい事に、その報告をしようとする前に画面に「これに答えないと情報公開しますよ」といった主旨の警告文が毎回表示されます。
ですがこれは画面をタップするだけなのでまだ良しとしましょう。
私が面倒くさいと思ったのは、もう一つ別の機能の方でした。
ネットでは、スマホを家の人に預けて応答してもらい、本人は連日外出していたという強者帰国者にインタビューし、それが記事になっていました。
そして、コロナ対策が緩いゆるいと言われていた日本でも、入国時の誓約に違反した2名の氏名が公表されたという報道もありました。
日本政府は私が知らないだけで、いろいろ策を練っているんだろうと思いました。
そのおかげで、私が入国した2021年のいまは、毎日ビデオ通話が不規則な時間にかかって来て、自分の顔を録画するよう促して来るようになっています。
ビデオ通話として掛かって来るので、向こう側に誰か居るのかと最初はドキドキしましたが、誰か居る訳でも、何かを話する訳でもなく、30秒間ただただ録画されつづけるという気持ちの悪い事をしなければいけません。
これらの通知もビデオ電話も、出られなかったからと言ってこちらから掛けなおす事は出来ないので、それがまた厄介です。
私の場合、一日中スマホをいじっている訳ではなく、手元から離れた所に置いている事もあるので、部屋のどこかで電話が鳴り出すと、それが切れる前に出なければと探し回るのが少し面倒に感じました。
いろいろ悪知恵を働かせば、これも応対せず済ます方法があるのかも知れませんが、そんな策を考える方が私にとってはさらに面倒なので、大人しく政府の指示に従います。
そして、この、面倒くさいシステムのおかげで、私のようにおとなしく自主隔離されている人が増えているのではないかと思いました。
2021年9月、私の自主隔離生活は無事終了し、自費で受けたPCR検査の結果も無事陰性となり、今日も元気に過ごしています。